京王線の知られざる旧線(仙川~調布)【後編】
ぶらり大人の廃線旅 第18回
アパートの向きが廃線と廃駅
ほどなく線路跡の道は現国道に吸い込まれていく。マンションの5階ほどの高さに及ぶ堂々たるケヤキ並木の若葉を仰ぎながら歩道を歩けば、菊野台交番の手前から右手に専用軌道が分かれていたはずだが、やはり痕跡は見当たらない。調布自動車学校のコース南側の短い道路がその跡地であるが、廃線と言われればそう思えなくもない程度。国道に戻って柴崎駅入口の信号をまた右へ入る。あらかじめマーカーで地図に印をつけておいたお目当ての細長いアパートの前に立った。
ここがまさに旧柴崎停留場跡であるが、空中写真でなら一直線を描く廃線跡に建物がまっすぐ並んでいて明瞭なのだが、地上で見るとやはりピンと来ない。道路に素直に面しておらず、入口に三角形の空き地ができているのが、かろうじて廃線の気配ではあるけれど。
アパートの敷地に少し入って奥の家を眺めると、隣近所とは関係なく同じ角度でまっすぐ続いているので、これも言われれば納得という程度では確認できる。午後の太陽がちょうど隙間から差し込んでいた。建物がまっすぐ並んでいるとはいえ道は関係ないので、これを追跡するならジグザグ歩きはやむを得ない。それらしき角度の建物をそれぞれ確認するのだが、やはり実感が湧かないのは当然だろう。
野川に架かる中島橋に出る。川原は一面の菜の花で、小魚でも見つけたのか、まっ白い小鷺が着水した。ドブ臭がほのかに漂っていた昭和末期の野川とは段違いに清浄である。線路はこの橋の北詰から斜めに渡って調布七中の敷地に入っていたはずだ。もちろん中学校の開校は昭和51年(1976)と、廃止のはるか後のことである。その昔は野川も蛇行しており、周囲は田んぼであったから、電車は築堤から短い橋梁でここを過ぎていたのだろう。